先輩に古本市に連れて行ってもらう。
日本の物価感覚が抜け切らず、けっこう相手を儲けさせてしまう。こちらがお金を払ったときに、店のおっさんが笑って「謝謝」などと言おうものなら、完全にこちらの負けである。
先輩は100元と言われた論文集を50元でないと買わないと頑として譲らず、「帰る振り」など散々の権謀術数をめぐらせたものの、結局60元までしか下がらなかった。
もはやこれまでと、駆け引きではなく本当に諦めて帰路についたところ、なんと実は足の悪かった店の親爺が、杖をつきながら100メートル以上の距離を追いかけてきた。
そして先輩をつかまえ、真面目な顔で「本当に値打ちがある本なんだから」と50元で売ってくれた。感動すら覚える大逆転劇であった。
私が10元損したときの痛みと、彼らが10元多く儲けたときの喜びとでは、後者のほうが遥かに大きいことを考えれば、グローバルな視点で見たとき私がお金を払い過ぎたことは正しい。
後から「高い買い物したな」などと人から言われたときは、そんな言い訳を用意して、自分を無理やり納得させるようにしている。
もっとも、「アフリカで刻一刻と失われている幼き命・・・」などの世界の諸々の問題に対して何ら貢献していない私が、「グローバルな視点」云々を口実にする権利などないのではあるが・・・
ちなみに、何十分も粘ってえげつない値段交渉をすると、店の人が顔を真っ赤にして目に怒りの涙を浮かべながら売ってくれることがある。この時の後味の悪さといったらない。
気持ちよく買い物するためには、ほどほどにだまされる才能が必要なのも事実である。